『部屋』UrBANGUILD公演 無事終了しました。
新年度でお忙しい中ご来場くださいました皆さま、まことにありがとうございました。
また、あたたかく迎え入れてくださったryotaroさん(オペも完璧にありがとうございます!)はじめUrBANGUILDの方々にも心より御礼申し上げます。

ここ数年、京都での公演が限られていることもあってか、思いがけない方、お久しぶりの方、おなじみの方、思いのほかたくさんお越しいただきまして、やや窮屈な客席になってしまい申し訳ありませんでしたが、ほんとうにありがたく、開場中お迎えしながらつい顔がゆるんでしまって、自分はちゃんと芝居ができるのかとちょっと心配になるくらいでした。
しかし当然ながら作品は作品であって、私(たち)がどうこうではなく、
「女」の、そして「男」の、世界から滑り落ちてゆくような淋しさが、それ自体として確かに立ち現れてくるのを感じました。
そして、立ち会ってくださった方々も、それをそれぞれに受け取ってくださったような気がします。
それだけの力を別役さんの戯曲は持っているのだと、改めて思います。
UrBANGUILDにさざめく祝祭的な空気の中、みんなで/ひとりで、〈世界〉と〈孤独〉を思う一夜、そのような時間のよすがになっていれば幸いです。



この作品は私にとって、ひどく馴染み深い夢(睡眠中の)のようで、まだ少しぼんやりしています。
ひとりのお客様が、「女」は心が飢えて食べなくなって死んでしまうけど、「男」はお腹が空いて何としても食べてたぶんどこかで生きている、と仰っていたのが妙に心に残りました。
「何としても食べる」力と、「食べなくなる」透徹と。
それはどういうのか、たくさんのお客様と出会えるよろこびに酔いながら、どこかそれが身に過ぎたことのような恐れを覚えていたこの一夜を思わせました。
充分にひとであることもできず、完璧にひとでなくなることもできない。
そんな曖昧さのまま、まだしばし在り続けるのだろうと、そのようなことを思います。



少しずつ、いろいろなことが戻ってくるのでしょうか。
またどこかの劇場でおめもじできますよう。

広田ゆうみ
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