本年はまことにお世話になりまして、ありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

相変わらずの状況にもかかわらず、いろいろなところで受け入れていただき、公演をすることができました。ほんとうにありがとうございました。
足を運んでくださいました皆さま、劇場の皆さま、スタッフの皆さま、気にかけてくださった皆さまに心より感謝申し上げます。
また、内輪で何ですが、頼もしく引っ張ってくださった制作の油田晃さんにも厚く御礼申し上げます。

この状況になってからとりわけ、折に触れて、レイ・ブラッドベリ『華氏四五一度』の最後の場面が思い起こされます。
書物というものがすべて禁じられた(そして殆どの人が「テレビ」と「ラジオ」に夢中で必要としなくなった)世界で、焚書係でありながらふとしたきっかけで書物に魅せられた主人公は、街中から追われる身となり、命からがら逃れたその先で、様々な書物をめいめい「頭にしまいこんで」いる人々と出会い、自らもその一人となります。
街を遠く望む荒野にひっそりと集う彼らの姿は、伝道者の誇りよりむしろ世捨て人の孤独を思わせますが、それでも彼らは(焼き滅ぼすためでなく暖めるための)火を囲んで静かに笑い語り合い、その中で一人の老人がこう言います。

──自分たちはけっして、重要な人物でないことを思い知るべきだ。自分だけでは、なんの意味もない。いまこうして、重いおもいをしてもち運んでおる荷物が、いつかだれかの役に立つのだと、それだけを心がけるべきだ。──

もとより「重要」などと自分たちを思うではなく、ただ、「いつかだれか」のために、これからも芝居をしていければと願います。

みなさまご無事で、よいお年をお迎えくださいませ。

広田ゆうみ

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